愛とは、恐れを手放すこと
先日、体調を崩したことをきっかけに、読んだのが
「愛とは、恐れを手放すこと」
これまでの一連の記事をご覧いただいた方は、
あ~恐れから怒り、嫉妬、期待、人をコントロールしたい、人に認めさせたい
という感情に飲み込まれていたことがうかがえるかと思います。
☆まだお読みでない方は、下記の記事をご覧ください☆
怒りや嫉妬、期待などの感情の根底には、恐怖がある ~恐怖を手放すと見えてくること~
自分の正当性を認めさせようとすることで起こる不具合と根底の感情について
本を読み、
私は恐れという感情を抱え込み、
得よう得ようともがき続けていた、まさに終わりの見えない迷路に迷い込んでいた
ことに気づいたのです。
人からの評価を得たい(=よく思われたい、自分のことを認めさせたい)
私が正しいことを証明したい
など
得よう得ようとした結果
得られていたものさえも失いかけていたのです。
何かを得ることによって自分は幸せになれる
本当にそうだったのだろうか?
それをやり続けた結果、体調を崩し、
自分の中のエネルギーさえも枯渇していく感覚・・・
しかし、この本を読んで、
今既にあるものに視点を変えたところ、
今こうして気持ちを綴れていること
美しい山々のある地域に住んでいること
自然の恵みをたっぷり受け取ったお野菜をいただけていること
など
既に沢山のものをいただいていたのです。
そうとは知らず、
得よう得ようと
もっともっとと
エゴの声に翻弄されていた自分を反省しました。
私はどんな感情を感じるために得ようともがいていたのか。
それは、ほんわかとした心の安らぎです。
ある出来事を複数人の人が体験した場合、
人それぞれ感じ方が異なるもの。
このことから分かるように、現実が●●だから幸せという方程式は
成り立たないように思う。
今回の出来事は素晴らしいことでした。
私はほんわかとした心の安らぎを選択しようと思い、
今、まさにその感情を味わいながら綴っています。
なんだかとりとめのない文章になってしまいました。
最後までお読みいただきありがとうございました♡